英語が下手なわたしが外資系企業で働く。そしてアメリカ勤務へ。
文学部から税理士業界へ進み、その後は外資系IT企業に転職したわたし。今回は、英語のできないわたしがその後アメリカ勤務に至るまでのお話です。
はじめての外資系企業
日系企業から、労働環境も文化も違う外資系企業への転職。入社後は予想通りかなり苦労しました。
学生時代は適当に勉強もできたし、前職ではきちんとその業界の専門知識をベースとして持っていたので、それまで自分が人より圧倒的に“できない”という経験があまりありませんでした。
ですが英語に関しては、長年勉強していたとはいえ、それを使って仕事をしたことも、短期のホームステイ以外で海外に住んだこともありませんでした。
そんな私が、海外の大学を出ている人や、もっと長く海外に住んでいた帰国子女等々と一緒に仕事をすることになり、自分の仕事(in English)レベルは最下層に入るんじゃないか‥と落ち込む日々が続きました。
だんだん慣れて、なんとか生きていけるようにはなりましたが、自分の英語下手だなぁ‥と落ち込むことはその後も続きました。
そんなこんなでその職場で3年弱働いた頃、突如私はアメリカに行くことになります。
妊娠、結婚、突然の渡米
当時付き合っていた社内の彼氏(現夫)が、アメリカ本社へ転籍することになったのです。
アメリカで働きたいと考えていた彼にしてみれば、念願叶って、という渡米です。
アメリカに行く可能性を知らされた頃から、私たちはどうなるのかなぁとぼんやり考えていたものの、はっきりとは話し合っていませんでした。
しかし渡米が確定。そして、本当にまさに同じタイミングで、妊娠していることが発覚したのです。
そこからはもうドタバタなんてものじゃないくらい、怒涛の毎日となったわけですが、結果的には入籍して一緒に渡米、アメリカで出産することとなりました。
妊娠発覚から半年後にはアメリカへ移住し、その3ヶ月後にはアメリカで出産していました。
人生は突然動き出すことがある
1年前には、彼と結婚することすらまだ考えていなかったのに、1年後には、住んだこともないアメリカで子どもを抱いていたのです。
人生ってこんなことが起きるんですね。
あのタイミングで妊娠していなければ、休職してアメリカについていったかどうかは正直分かりません。
夫も、私に家庭に入ってほしいというタイプではないので、ついてきてほしいとは言わなかった気がします。もしかするとそのまま遠距離になって別れていたかもしれません。
妊娠したことによってすべてがものすごいスピードで決まっていき、私の仕事は行ってからなんとかする!という行き当たりばったりな状態のまま渡米しました。
アメリカ本社で復職という可能性も含めて、ひとまず復職前提で育休をとらせてもらえることになり、その点は本当に感謝しています。
しかしそのときも、入社したときのマネージャーに言われたことがあります。
「仕事もおもしろいけど、子どももおもしろいぞ。予測不能な行動をする未知の生物が現れたのは、自分にとっても大きな変化だったなぁ。一度仕事をやめたり休んだりしてもそこで終わりじゃないから」
そんなような内容だった気がします。
当時の私にとってなんの解決にもならないコメントでしたが、仕事大好き&なんでもロジックで考える理系上司にこう言われ、
不安もあるけど、私の人生もっと面白くなるかもしれないな~と、なんとなく前向きになれた記憶があります。
そして、休職、渡米、出産し、アメリカでの専業主婦&子育て生活が始まりました。
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